真夜中のプロジェクト

国立研究開発法人ジプシーのぼんやりした日記

急遽帰省

ただの日記です。

 

8月10日10時ころ函館の叔母が亡くなった。

当日私はコミケにサークル参加していてバカぼんやりとビックサイトで過ごしていたのだが、売り子の担当時間中にメールチェックしたら職場の同僚から私の携帯番号を知りたいという名乗らない電話があったらしい(病院関係者や遠縁の親類にしても名乗らない理由はないので恐らく保険か何かの勧誘かと思われる)

 

サークル参加の人は最近は皆そうだが異常な程混雑するので15時ころに撤収。

16時発の秋葉原行きシャトルバスを使って秋葉原へ移動、17時ころ着。

打ち上げの予約をした店は18時からなので着替えと戦利品を自宅へ置きに一度帰ることにした。

 

帰宅すると母が何やらソワソワしており仕事を休んでくれないかと言ってくるので

理由も言わずにそんなこと言われても無理だろうと反論したら叔母が今朝亡くなったことを伝えられた。コミケを楽しみにしているだろうから私が帰ってくるまで連絡を控えていたとのこと(そんな必要全然ないのに、なんて無駄なことを)

 

欲しい本は委託ショップで買えることが多いしそもそも買えなかったら買えなくてもまぁ残念ではあるけどその程度なので楽しみにしているのは半年毎に合う友人との飲み会の方なんだよね。

 

母は足が悪く歩くことが困難で要支援2の介護認定をうけているため最初は私だけが代理で葬儀に参加するという話を母から提案されたのだが、ネットを駆使して検索してみると新幹線は無理だが飛行機が奇跡的に2席確保可能だった。

手を繋いでやれば何とか歩くことはできるので私が行くよりも、私は付き添いとして母を連れていくべきだと思った、次は宿の確保だ。

 

お盆ど真ん中の北海道で急にホテルが予約できるとは到底考えられなかったので叔母の家に泊めてもらえないかを母から姪のほうに確認してもらって確約を得てから行きの飛行機をWebでサクッと予約した。

 

翌日11日はフライトまで時間がたっぷりあるので母の礼服一式を新調した。

私の分のスーツは叔母が亡くなる病院に、入院した日と同じ2週間前に安スーツのチェーン店で改装閉店セールチラシが家に届き、それをみた母がしつこく購入を薦めてきて挙句の果ては足が悪いのに自分が歩いて行って買ってくるとまで言われて根負けして買ったスーツだった。

 

今にして思えば母と叔母は姉妹なので虫の知らせというのがあったのかもしれない。

 

そしてタクシーと飛行機を駆使して葬儀場に着いたのが20時頃

叔父も2年前に急逝しているので身内は私の母と姪の二人のみで結局泣かれる。

しんみりとした通夜になった。

 

通夜のろうそくの火守りを初体験することになったのだが、ろうそくは一晩持つ長くて太いのがあるので線香のほうが問題なのだろうと思ったが、線香も一晩もつ長さを持った渦巻き状のものが焚かれていたので結局は生きている人の気が済むかどうかということが一番問題なのだろうと思った。

 

翌日は札幌にいる親類が到着、女性だけだった。

昼頃に火葬場へ出棺。(北海道は先に遺体を火葬してしまう風習の様だ)

ここでもやはり皆泣いてしまうので私ももらい泣きしてしまう。

 

16時頃葬儀場に戻って式の準備、17時から通夜葬儀告別式の合同ということで1時間ほど式が続いた。

そのあと遠方の人が多いため初七日、35日忌、49日、100日法要までの繰り越し法要を1時間ほど行ってもらって終了。これも生きている人間の都合と気が済むかが重要なんだろうなと思った。

 

母は久々に会えた人たちと昔話が出来て楽しそうだったので無理してでも連れてきて本当に良かった。

 

全部終わって13日最後に空港まで送ってくれた姪が2~3年の内に函館の家は処分するということと最後にボソッと呟いた「もう帰ってくるとこないわぁ」というのが引っかかって空港で姪と別れたあとふともう私も函館に来る理由が無くなったなぁと思うと寂しくなってしまい一人だったら多分泣いてしまっていたと思う。

母がずっと横に居たので実際には泣かなかったけど。