昨日がそうだったらしい。(発売日でしょうか?)
ツイッターアカウントはあるけど上手く使ってないので仕事のノリが出てくるまで
なんとなく書いてみる。
自分の年齢はもう老害世代みたいに書かれている記事もあるし、アルファブロガーの山本一郎氏は年下だった・・・もっと身近にアルファブロガーがもう一人いるがあの人も年下かも・・
というくらいの年齢なのでファミコンが発売になったのは中学校に上がってから。
小学生時代は学校から禁止されていたゲームセンター通いを親の財布から金ちょろまかして遊ぶワルガキでした(お父さんお母さんごめんなさい)
ファミコン発売前は任天堂もアーケードゲームを開発していてドンキーコングやマリオブラザーズ、バルーンファイト等色々遊びました。
アーケード機とほぼ遜色のないグラフィックで家庭用TVに映ったビジュアルには感動したような気がします。
しかし当時からゲーセン通いをしていた私には完全移植かどうかが重要であり初期タイトルのドンキーコングの75m(3面)が移植されていないことが不満でおもちゃ屋の店頭デモ機などで遊ばせてもらうだけで満足というか我慢出来ていました。
ファミコンで最初に衝撃を受けたのはやはりスーパーマリオブラザーズ。
それまでの常識ではありえなかった、不可侵だと思っていた画面上部のスコアやタイム表示領域に自機キャラクターが入っていってしまうビジュアルに衝撃を受けました。
それからはスーパーマリオをプレイしたくて持っている友人宅へ遊びに行く等していたことをよく覚えています。
周囲の友人たちはゼビウスの完成度の高い移植に魅了されていましたが、当時からアーケードゲーマーだった自分にはやはりちょっと納得出来ない部分がありスーパーマリオの方が衝撃度は高かったです。
両親にねだって漸く買ってもらったファミコンはF1レース、エキサイトバイク、デビルワールドの3本抱き合わせだったと思います。
その後はちょこちょこと親にねだって買ってもらったり、中学から高校の時期だったので小遣いを貯める等の方法で自力?でソフトを集めることができて良い時代にオトナになったなぁと今でも思います。高校受験に普通に失敗したりしてましたがw
高校に上がってからはBeep読者だったのでセガ人となりマークIII、MDとアップデートしてSFCには手を出しませんでした。(SFCはゲーム会社に就職してから廃棄機材として捨てられたのを貰ったのがやっと)
長くなってきたし、まとまらないので記事を分けます。